開発ストーリー
3. 何を目指してどう教えるのか
「初歩の初歩」の次へ、どう進むのか。
「初歩の初歩」レベルのくり返しに陥ってしまうという、この「学習内容のマンネリ化」の問題は、小学校高学年から英語を習い始めるケースではそう大きな問題にはなりません。1~2年間は教える内容が十分にありますし、中学校の教科書の先取り学習なども可能だからです。ところが、小学校低学年や幼児期から英語学習を開始するケースですと、中学入学までに5年以上、長ければ10年近くも英語を学ぶことになります。英語学習の開始時期がどんどん低年齢化している状況を考えると、長い学習年数を生かす指導を考えなければなりません。
世の中には数多くの子ども向け英語教室があります。そして、おそらく大部分の教室が、前述の「初歩の初歩」については教えているでしょう。この部分に限って言えば、数ある英語教室の多くは似たり寄ったりです。肝心なのは、「初歩の初歩」以外に何をどう教えるかであり、それぞれの英語教室の特長はこの点にこそあるのではないかと思います。
「初歩の初歩」の次へどうやって進むのか。何を目指して、どう教えるのか。私たちは、いくつかの根本的な問題を考えねばなりませんでした。
国際理解教育や情操教育について。
まず、私たちが考えたのは「そもそも何を教えるのか」という点です。英語教室なので「英語」を教えることは当然です。問題は、異文化理解・国際感覚・感性・創造力・思考力なども視野に入れるかどうかです。英語教育にはこれらの要素が多少は含まれているとは思いますが、レッスンの目標としてこれらを「積極的に」掲げるかは英語教室によって違いがある点でしょう。実は、公立小学校の英語教育に関する議論にもこの問題は出てきます。
ただ正直にお話しすると、私たちがこの点を改めて考えてみたのは、「英語以外の要素を盛り込めば、レッスンのバリエーションを増やせるのではないか」という思惑があったからでした。たとえば、異文化理解をテーマとしたイベントだとか、創造力や感性を養うことを狙った工作だとか、思考力がつくようなゲームだとか、そういうものを英語と組み合わせれば、レッスンの幅は広がります。マンネリ化も解消されるかもしれません。しかしながら、私たちはこの路線を選びませんでした。英語教室である以上、一番期待されているのは英語力の向上であり、それに何とか応えるべきだと考えたからです。
誤解を生じないよう念のため書くのですが、これは良い悪いの問題ではなく、バランスや優先順位の問題だと思います。英語レッスンを通じて国際理解教育や情操教育、あるいは知育を行うというアイデアは確かに魅力的です。ただ、全方位をカバーするレッスンは簡単にできるものではありません。逆に、どれもが中途半端になる可能性が少なからずあります。私たちはレッスンの目標をしぼり込み、英語の習得に全力を挙げようと考えました。目標をしぼった方が効率的なレッスンにより成果を上げやすくなるからです。
ともかく、何を目指すのか、という点は明確になりました。「英語の習得」を目指すということです。
英語は「自然に」身につくのか、という根本的な疑問。
さて、レッスンの目標を英語習得に絞ったのはいいのですが、「どう教えるのか」という難問は残ります。すでに述べたように「初歩の初歩」の次へと進むのは、なかなか難しいからです。
これに対しては、次のような考え方もあるでしょう。「分かっても分からなくても、とりあえずいろんな英語に触れさせておけばよい。そのうち自然に分かるようになる。」というものです。実のところ、私たちもその当時は、何となくこのように考えてレッスンを行っていました。ところが、「今は分からないが、いつか分かるようになる。」というのは、講師にとっても、生徒にとっても、保護者にとっても、それから教室運営をする私たち自身にとっても、やはりストレスを感じる状況なのです。
そこで、私たちは根本的な問題を改めて考えてみることにしました。そもそも英語はどうやって身につくのか。「自然に」身につくのか、それとも「意識的な学習により」身につくのか、という問いです。結局のところ、どんなテキストを使ってどんなレッスンをするのかは、この問いから逆算して考えるべきだと言えます。もし「英語は自然に身につく」と考えるのなら、それにふさわしいレッスンのやり方があるでしょう。反対に「自然には身につかない」と考えるのなら、その点を踏まえて指導法を検討すべきだと思います。
この問いをどう考えるかは、あらゆる語学教室にとって最も大切なことの一つです。しかし、子ども向けの英語教室に関して言えば、「子どもの時から学べば自然に身につくだろう」という幻想のようなものが、保護者の方々にも、そして教室の側にも何となくあるように思います。
いろいろと考えた末、私たちは「日本でふつうに生活する人にとって英語は外国語である。これが母国語のように自然に身につくと考えるのは現実的ではない。英語習得はあくまでも意識的な学習の成果だ。」という結論に至りました。これは折に触れて保護者の方にもご理解いただこうとしている点であり、このウェブサイトでも「子ども向け英会話教室―私たちの考え方」で詳しく述べています。子ども向けの英語教室で、はっきりとこう言い切る教室は珍しいかもしれません。けれども、この点に関する自分たちのスタンスをはっきりと示すことは大切だと思います。なぜなら、子どもたちの英語学習を見守っていただくお父さまやお母さまにも共通の認識を持っていただく必要があるからです。
「自然に」を目指すことは、楽ではない。
私たちは言わば、「英語が自然に身につく」という考えを捨てているのですが、このことを保護者にお伝えすると「やっぱり英語を楽しく身につけることは無理なんですね。そうすると、勉強という苦しい道に耐えるしかないのでしょうか。」と早合点される方がいます。まるで、「自然に身につけるコース」=「楽しい」、「勉強によって身につけるコース」=「苦しい」、という図式が存在しているかのようです。
「自然に身につけるコース=楽しい」というのは願望としては理解できますが、これを日本で生活しながら実践するのは大変です。もちろん成功例もあるはずです。しかし、そのための時間的・労力的・金銭的な負担が相当であることは、もっと認識されるべきでしょう。「身につく」を低いレベルで考えるのなら話は別です。しかし、「英語を使える」と言えるレベルを前提にするならば、楽しく自然に、平たく言えば、楽に、英語が身についたと認められるケースは稀だと思います。
そもそも「英語が自然に身につく」環境は簡単に用意できるものではありません。帰国子女や国際結婚をした親を持つ子どもたちでさえ、日本で暮らしつつ英語を自然に習得することはそう簡単ではないようです。私たちが「自然に身につけるコース」を「現実的ではない」と考える理由もここにあります。幼児期は100%英語保育のプリスクールに入れて「自然に身につく」ような気がしたけれども、小学校に入学してからは同様の英語環境を用意することができず、結局は英語学習そのものが自然消滅した、というのはよくある話です。
「楽しくて身につくレッスン」を改めて考える。
結局のところ、日本で暮らす一般的な子どもたちにとって、最も現実的な英語習得法は、意識的に学習すること、つまり勉強することなのです。だとすれば、先にも述べた通り、「英語習得は意識的な学習の成果だ」との考えを前提に、レッスンのあり方を考えなければなりません。
「楽しくて身につくレッスン」。これは多くの英語教室で使われている宣伝文句です。私たちの教室でもレッスンの特長をこのように表現することがありますし、もちろん目指すべきレッスンの姿として正しいと思います。ただ、かつての私たちには、「楽しくて身につくレッスン」の中身がはっきりとはイメージできていませんでした。「英語習得は意識的な学習の成果だ」との考えをはっきりさせたことで、それまで漠然としていたものが、明確なイメージとして見えてきたのです。
「英語を自然に身につける」と考えた場合、それがどのような習得過程なのかを明確にすることは困難です。その結果、「楽しくて身につくレッスン」を掲げたとしても、その中身ははっきりしません。一方、「英語習得は意識的な学習の成果だ」と考えると、それをより具体的に考えることができます。私たちが、「楽しいレッスン」や「身につくレッスン」を、どのように捉えるに至ったのか。次項ではそれについて述べます。
記事リスト
- 4. 「楽しいレッスン」を考え直す
- 1. 2002年度以前のこと
- 2. 何が問題だったのか
- 3. 何を目指してどう教えるのか
- 5. 「身につくレッスン」を考え直す
- 6. 2003年度 -レッスンが変わった