開発ストーリー
1. 2002年度以前のこと
ここでは、統括マネージャーである私片岡が、この仕事に携わることになった2000年3月以降を時系列で書いてみようと思います。
2000年度のこと
当時、私は28歳でした。それまで学習塾で働いていた私は、オーシャンに転職し、児童英語教育にかかわることになりました。当時のオーシャンは、外国人講師の派遣業務がメインで、15人ほどの外国人講師を抱えていました。派遣先である学習塾や幼稚園の先生方からは「講師の質が高い」との評価を得ていたと思います。オーシャンの代表である本多は、この時点ですでに8年ほど児童英語教育の業界に身を置いており、業界では割と有名だった会社を経てきているのですが、このことはまたの機会にお話できるかもしれません。
2001年度の時点ではまだ直営校がなく派遣業務がメインでしたが、それでも週に一度くらいは外国人講師に同行する機会があり、レッスンを見ることができました。私にとって、初めて目にする「外国人講師による子ども向け英語レッスン」はとても新鮮でした。子どもたちが外国人講師と楽しく触れあう様子や、TPRに素早く反応する姿を見て感動しました。フォニックスという指導法も初めて知りました。「なるほど、こうやって自然に英語が身についていくのか!」と、ワクワクしたことを覚えています。
2001年度のこと
2001年3月に事務所の移転と合わせて、直営教室であるOCEAN ENGLISH CLUB本校を開校しました。レッスンの改善や講師養成に役立てるためです。急な移転でドタバタしたので生徒募集が十分にできず、当初は生徒数30名弱でスタートしました。それでも口コミで生徒が増え、年末には75名くらいになりました。折込チラシを4月に少し入れただけにしては、まずまずだったと思います。
この時点では、フォニックスについてはオリジナル教材を使っていましたが、メイン教材には海外の出版社から出ているテキストを採用していました。ただし、そのテキストの他にも、自分たちで作成したたくさんのカードやワークシートを合わせて使っていました。TPRをまとめたリストもありましたし、歌やゲームも数多く取り入れていました。読み聞かせ用の絵本もありました。
このころのオーシャンは、レッスンの基本方針を次のように考えていたと思います。すなわち、いろいろなアイデアを組み合わせることによって、そして新しいアイデアをどんどん取り入れることによって、子どもたちを飽きさせない、楽しいレッスンを実現しようという考え方です。そして、実際にレッスンは順調でした。子どもたちもとても楽しそうにレッスンを受けていました。
レッスンは楽しい雰囲気を維持したまま年度末を迎え、退会者もほんのわずかでした。退会理由もレッスンへの不満などではありませんでした。
2002年度のこと
OCEAN ENGLISH CLUB 本校は2年目を迎え、4月の新学期スタート時点の生徒数は110名ほどになりました。メイン教材には引き続き洋書を採用し、2年目の生徒には同じシリーズの続編を使うことにしました。
4月のうちは新しい外国人講師に慣れるために、新出事項を教えることはせず、前年度の復習やゲームを中心としたレッスンを行うようにしていました。そんなこともあって、4月のうちは様子見といった感じだったのですが、ゴールデンウィークが明けたころから少しずつ問題が出てきました。2年目に入った継続生クラスについてです。新しい単語や表現の導入が思うように進まず、結果として今までに習ったことをくり返している様子でした。もちろん、同じ学習項目であっても、新しいゲームやアクティビティを使いながら形を変えて教えていたので、子どもたちは依然として楽しそうにしていました。しかし、学習内容自体についてはマンネリ化が生じていたと言えるでしょう。
当面の対応はしました。しかしこれを機会に根本的なレッスンの見直しを考えるようになりました。これについては次の「何が問題だったのか」で書くことにしますが、結論から言えば、オリジナルのメイン教材を自分たちで作ることにしました。それが、自分たちが良いと考えるレッスンを実現するために一番の方法だと考えたからです。
記事リスト
- 4. 「楽しいレッスン」を考え直す
- 1. 2002年度以前のこと
- 2. 何が問題だったのか
- 3. 何を目指してどう教えるのか
- 5. 「身につくレッスン」を考え直す
- 6. 2003年度 -レッスンが変わった