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■1983年生まれ
■北海道大学工学部土木工学学科卒
■J-Shine(小学校英語指導者)資格取得
■趣味:ゴルフとスポーツ観戦。
■犬と猫を家で飼ってます。
Introduction
私は、小学校と高校時代はサッカー少年、中学の頃はラグビーに打ち込んでいました。勉強面でいうと、高校時代まで完全な理系人間でした。物理・数学は得意でしたが、英語は特別好きでもありませんでした。大学選びの際も、勿論理系志望でした。
私は名古屋に住んでいますが、当時我が家の大学選びの条件は、「他府県の国公立大学&一人暮らし」でした。中学3年生の冬休みに家族と北海道にスキー旅行に行ったのですが、その時、たまたま札幌の知人に案内してもらった北海道大学が何故か妙に印象に残っていて、志望校は北大(工学部土木建築科)にしました。結構安易な大学選びでしたが、何とか合格し、4年間を札幌で過ごしました。
親元を離れ、一人暮らしをして、炊事・洗濯・掃除など、それまで母親がやってくれていたことが、いかにありがたかったかを思い知らされました。北海道は名古屋と全く違います。最初の冬は大変でした。寒いのも大変ですが、凍結した雪道を転ばずに歩くのは一苦労です。何度こけたことか。私は二重窓の比較的新しいマンションに住んでいたので大丈夫でしたが、古いアパートですと、夜中に室内温度がマイナス5℃~10℃になり、水道管が破裂するので、毎日水抜きをしなければなりません。
でも北海道での学生生活は最高でした。北海道はとにかくデカイ。道産子の友人宅に遊びに行くのに、車で7時間かかりました。大学では親友が4人いて、夏に北海道から九州まで車で無計画な旅をしたり、徹夜でマージャンしたり、なんちゃってバンド活動をしたり、バイトしたり、本当にエンジョイさせてもらいました。大学時代の親友たちも、今では就職して関東や関西にバラバラになっていますが、今でも時々会うようにしています。
大学では、土木工学(特に河川)を専攻していました。普通なら大学院へ進むのですが、私は4年時に悩みました。当時は「耐震偽装」「ゼネコンの談合」などの諸問題が世間を騒がしており、また公共工事も縮小傾向にあったからです。親父に相談すると、「これからは、理系で英語ができると強いぞ。」と留学を勧められました。その言葉を信じ、卒業後すぐに、オーストラリアへ。
結局1年半オーストラリア(ゴールドコースト)で過ごしました。2つの語学学校で計半年間語学を学び、その後、10ケ月間、カレッジでITを勉強しました。
最初は本当に言葉で苦労しました。当時の私の英語レベルは本当にひどいものだったので、ホームステイ先でも語学学校でも、現地の人の話す英語がさっぱり理解できませんでした。他の留学生とも仲良くなれたので、ホームシックにはなりませんでしたが、思うようにコミュニケーションがとれないもどかしさをこんなに強く感じたことはありませんでした。
半年くらい過ぎたあたりから英語も随分理解できるようになり、行動範囲も広がり、それなりに楽しめるようになりましたが、日本でもう少し英語をしっかり勉強しておけばよかったとつくづく思ったものです。ただし、私も小学生時代に4年ほど外国人の先生に英語を習っていたので、オーストラリアで生活していても、外国人に対して違和感を持ったり、ビビったりすることはありませんでした。これは小学生時代の体験のお陰だと思います。
留学はいろいろな意味で貴重な経験でした。語学習得という目標もありましたが、異文化を直に体験できたのは大きかったと思います。オーストラリア人だけでなく、欧米圏の人たちは、とにかく自己主張します。私は、日本では比較的思った事を口にする方でしたが、とてもかないませんでした。ホストファーザーもマザーもとてもいい人たちでしたが、突然アーギュメントを始めます。最初はケンカが始まったのかとドギマギしましたが、その内に、「ああ、こういうものなんだ」と慣れました。私の両親がアーギュメントしているのを見たことがなかったので、結構インパクトがありました。
欧米圏では、「自己独立」が基本姿勢であり、また「多民族国家」である場合が多く、宗教や文化も含め互いに異質なバックボーンを持っているので、まず互いに自分の意見をぶつけ合い、その中から接点、妥協点、解決策等を見出していかなければなりません。日本のように「和の精神」があり、「察しの文化」を持った国民とは明らかに違います。オーストラリアに行って初めて、「俺はやっぱり日本人なんだ」とはっきり認識できました。長い歴史と独特の精神文化を持つ日本人として、自分の中にささやかな誇りが生まれたのも事実です。
もうひとつ、食文化は日本が一番だとつくづく思いました。
日本に帰国後、理系で英語が(少し)話せる点を買われ、自動車関係の商社に就職しました。アジア圏(タイ・インド)への海外要員として採用されました。しかし、未曾有の世界不況が訪れ、そんな折に縁あってオーシャンに入社しました。大学時代のバイト経験の中で、教育事業にも興味があったからです。
大学時代には、札幌の学習塾で講師のバイトをしていました。子どもたちを指導するのは予想外に難しいものでしたが、子どもたちの成長に関わることができる喜びは格別のものでした。また当時、夏休みに兵庫県の子どもたちが北海道に自然体験キャンプに訪れ、そのインストラクターもしました。
オーストラリアにいた頃には、現地スタッフとして、夏休みに短期ホームステイでオーストラリアにやってきた東海地方の小中高生のサポートもさせてもらいました。親元を離れた子どもたちは確実に成長します。短期間でも、集団行動を体験し、協調性を身につけ、自分のことは自分でする姿勢を自然に身につけていきます。
私自身の経験ですが、小学校3年生のときに、「富士山に登るキャンプ(2泊3日)」に単独で送り出されました。勿論私の希望ではなく、親の意志です。ある夜、参加した子どもたちだけでカレーを作ることになりました。私は野菜を切る担当になったので、親からもらったサバイバルナイフで野菜を切っていたのですが、包丁を使ったことがない私は、指を深く切ってしまいました。血が全然止まらなくて、ほぼ半泣き状態の私を見て、近くにいた仲間が、医務室まで連れて行ってくれ、いろいろ世話をしてくれたのを今でもはっきり覚えています。
その他、テントで寝ていたら雨漏りがしてきてビショ濡れになったり、富士登山が予想外にきつかったりと、結構苦労もしましたが、今でも楽しい思い出として鮮明に残っています。富士山キャンプを終えた当時は、何となく自分なりに成長できたような気がしました。「かわいい子には旅をさせよ。」とは本当にそうですね。
自分自身の体験でもそうですが、子どもたちを見ていると、親から離れて何かを体験するのは、その子にとって良い経験になると思います。オーシャンの英語レッスンでも、短時間にしろ、親元を離れ、基本的には言葉の通じない外国人の先生と英語を使って過ごします。分からないこともあるとは思いますが、外国人の先生の言ったことが分かったり、頑張って英語を使ってみて通じたときには、子どもなりに喜びを感じます。こうした体験は、きっと何かの形で子どもたちの成長の糧になるのではないかと思います。
私はオーシャンを通じて、少しでも多くの子どもたちに、英語や異文化に興味が持て、また少しずつでも英語が分かる喜びを感じてもらえるよう、精一杯お手伝いをさせていただきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
私は名古屋に住んでいますが、当時我が家の大学選びの条件は、「他府県の国公立大学&一人暮らし」でした。中学3年生の冬休みに家族と北海道にスキー旅行に行ったのですが、その時、たまたま札幌の知人に案内してもらった北海道大学が何故か妙に印象に残っていて、志望校は北大(工学部土木建築科)にしました。結構安易な大学選びでしたが、何とか合格し、4年間を札幌で過ごしました。
親元を離れ、一人暮らしをして、炊事・洗濯・掃除など、それまで母親がやってくれていたことが、いかにありがたかったかを思い知らされました。北海道は名古屋と全く違います。最初の冬は大変でした。寒いのも大変ですが、凍結した雪道を転ばずに歩くのは一苦労です。何度こけたことか。私は二重窓の比較的新しいマンションに住んでいたので大丈夫でしたが、古いアパートですと、夜中に室内温度がマイナス5℃~10℃になり、水道管が破裂するので、毎日水抜きをしなければなりません。
でも北海道での学生生活は最高でした。北海道はとにかくデカイ。道産子の友人宅に遊びに行くのに、車で7時間かかりました。大学では親友が4人いて、夏に北海道から九州まで車で無計画な旅をしたり、徹夜でマージャンしたり、なんちゃってバンド活動をしたり、バイトしたり、本当にエンジョイさせてもらいました。大学時代の親友たちも、今では就職して関東や関西にバラバラになっていますが、今でも時々会うようにしています。
大学では、土木工学(特に河川)を専攻していました。普通なら大学院へ進むのですが、私は4年時に悩みました。当時は「耐震偽装」「ゼネコンの談合」などの諸問題が世間を騒がしており、また公共工事も縮小傾向にあったからです。親父に相談すると、「これからは、理系で英語ができると強いぞ。」と留学を勧められました。その言葉を信じ、卒業後すぐに、オーストラリアへ。
結局1年半オーストラリア(ゴールドコースト)で過ごしました。2つの語学学校で計半年間語学を学び、その後、10ケ月間、カレッジでITを勉強しました。
最初は本当に言葉で苦労しました。当時の私の英語レベルは本当にひどいものだったので、ホームステイ先でも語学学校でも、現地の人の話す英語がさっぱり理解できませんでした。他の留学生とも仲良くなれたので、ホームシックにはなりませんでしたが、思うようにコミュニケーションがとれないもどかしさをこんなに強く感じたことはありませんでした。
半年くらい過ぎたあたりから英語も随分理解できるようになり、行動範囲も広がり、それなりに楽しめるようになりましたが、日本でもう少し英語をしっかり勉強しておけばよかったとつくづく思ったものです。ただし、私も小学生時代に4年ほど外国人の先生に英語を習っていたので、オーストラリアで生活していても、外国人に対して違和感を持ったり、ビビったりすることはありませんでした。これは小学生時代の体験のお陰だと思います。
留学はいろいろな意味で貴重な経験でした。語学習得という目標もありましたが、異文化を直に体験できたのは大きかったと思います。オーストラリア人だけでなく、欧米圏の人たちは、とにかく自己主張します。私は、日本では比較的思った事を口にする方でしたが、とてもかないませんでした。ホストファーザーもマザーもとてもいい人たちでしたが、突然アーギュメントを始めます。最初はケンカが始まったのかとドギマギしましたが、その内に、「ああ、こういうものなんだ」と慣れました。私の両親がアーギュメントしているのを見たことがなかったので、結構インパクトがありました。
欧米圏では、「自己独立」が基本姿勢であり、また「多民族国家」である場合が多く、宗教や文化も含め互いに異質なバックボーンを持っているので、まず互いに自分の意見をぶつけ合い、その中から接点、妥協点、解決策等を見出していかなければなりません。日本のように「和の精神」があり、「察しの文化」を持った国民とは明らかに違います。オーストラリアに行って初めて、「俺はやっぱり日本人なんだ」とはっきり認識できました。長い歴史と独特の精神文化を持つ日本人として、自分の中にささやかな誇りが生まれたのも事実です。
もうひとつ、食文化は日本が一番だとつくづく思いました。
日本に帰国後、理系で英語が(少し)話せる点を買われ、自動車関係の商社に就職しました。アジア圏(タイ・インド)への海外要員として採用されました。しかし、未曾有の世界不況が訪れ、そんな折に縁あってオーシャンに入社しました。大学時代のバイト経験の中で、教育事業にも興味があったからです。
大学時代には、札幌の学習塾で講師のバイトをしていました。子どもたちを指導するのは予想外に難しいものでしたが、子どもたちの成長に関わることができる喜びは格別のものでした。また当時、夏休みに兵庫県の子どもたちが北海道に自然体験キャンプに訪れ、そのインストラクターもしました。
オーストラリアにいた頃には、現地スタッフとして、夏休みに短期ホームステイでオーストラリアにやってきた東海地方の小中高生のサポートもさせてもらいました。親元を離れた子どもたちは確実に成長します。短期間でも、集団行動を体験し、協調性を身につけ、自分のことは自分でする姿勢を自然に身につけていきます。
私自身の経験ですが、小学校3年生のときに、「富士山に登るキャンプ(2泊3日)」に単独で送り出されました。勿論私の希望ではなく、親の意志です。ある夜、参加した子どもたちだけでカレーを作ることになりました。私は野菜を切る担当になったので、親からもらったサバイバルナイフで野菜を切っていたのですが、包丁を使ったことがない私は、指を深く切ってしまいました。血が全然止まらなくて、ほぼ半泣き状態の私を見て、近くにいた仲間が、医務室まで連れて行ってくれ、いろいろ世話をしてくれたのを今でもはっきり覚えています。
その他、テントで寝ていたら雨漏りがしてきてビショ濡れになったり、富士登山が予想外にきつかったりと、結構苦労もしましたが、今でも楽しい思い出として鮮明に残っています。富士山キャンプを終えた当時は、何となく自分なりに成長できたような気がしました。「かわいい子には旅をさせよ。」とは本当にそうですね。
自分自身の体験でもそうですが、子どもたちを見ていると、親から離れて何かを体験するのは、その子にとって良い経験になると思います。オーシャンの英語レッスンでも、短時間にしろ、親元を離れ、基本的には言葉の通じない外国人の先生と英語を使って過ごします。分からないこともあるとは思いますが、外国人の先生の言ったことが分かったり、頑張って英語を使ってみて通じたときには、子どもなりに喜びを感じます。こうした体験は、きっと何かの形で子どもたちの成長の糧になるのではないかと思います。
私はオーシャンを通じて、少しでも多くの子どもたちに、英語や異文化に興味が持て、また少しずつでも英語が分かる喜びを感じてもらえるよう、精一杯お手伝いをさせていただきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。































